2014年12月19日

ナスカの地上絵

1927年、ペルーの航空測量班のメンバー、トルビオ・メヒタ・セスッペはナスカ高原の砂漠上空を飛行中、ふと下を見た時、我が目を疑った。

砂漠には、巨大な動物の絵や幾何学模様が多数描かれていたからだ。

地上絵は、クモやハチドリ、シャチなどのほかに、宇宙飛行士のように見える絵まで描かれている。

最大のものでは、258メートルの鳥類の絵があり、1万3000本を超える滑走路のような幾何学図形が発見されている。

この巨大な絵をどうやって描いたのだろうか。
描画方法は、次の通りである。

盆地の暗赤褐色の岩を特定の場所だけ幅1m〜2m、深さ20〜30cm程度取り除いて、深層部分の酸化していない明るい色の岩石を露出させることによって「描かれて」いる。

規模によっては、もっと広く深い「線」で構成されている。
地上絵の線は、最初に線の中心から外側へ、暗赤褐色の岩、砂、砂利を積み上げ、線の中心部分に少し残った暗赤褐色の砂や砂利も取り除いて明瞭になるようにしたと推察されている。

様々な図形を大規模に描き上げた方法としては、十分な大きさの原画を描き上げた上での適当な中心点を取り、そこを起点にして放射状に原画の各点を相似拡大する方法が採られたという説が提唱されていが、地上絵の端にあった杭の存在や、地上絵の縮小図の発見などを考えると拡大説が妥当であると考えられている。

また、その他の研究結果では、地上絵の近隣の遺跡は地上絵を描くための一時的な労務者集団の野営地とも考えられ、時期的には、先行するパラカス文化の終わる紀元前200年から紀元後800年のナスカ文化の時代に描かれたものであることがほぼ確定しているという。

では、地上絵は何のためにつくられたのか。

考古学者マリア・ライヒェなどによる暦法関連説では、地上絵の線について、夏至と冬至に太陽が日没する方向に一致するものがあることを明らかにした。
さらに、平行でない一連の直線は数世紀にわたる夏至と冬至に日没する方向を示していると考えている。

更に、天文考古学の第一人者であるホーキンズも、線の方向について、コンピューター分析を行ったところ、1年の太陽と月の運行の方向に合うものが、偶然と考えられる場合の2倍に達するという結果を得ている。

このことから、ナスカの地上絵には、暦学的性質があることがわかるだろう。
乾燥した南海岸地域の人々にとって夏至と冬至は、雨季と乾季の始まりであり、当然、農業を行う時期とか祭儀とかに深く関連することが推察できるはずである。

ワリ「帝国」の研究で知られるW.イスベルは、この地上絵の機能について、イリノイ大学のザウデマのインカ社会についての研究の次のような事例が参考になると考えている。

つまり、インカの首都クスコからは、あらゆる方向に仮想直線が伸びていて、その位置は、一連の神殿によって示されていて、1年中毎日、クスコの住民のうちそれぞれ違う一族がそれぞれ違う神殿を礼拝したというのだ。

クスコの「谷の広場」では、1年間の儀式カレンダーが精密に記され、農耕順序や社会的義務や軍事活動などに関する情報がその都度クスコの人々に象徴的に伝えられたとされる。

またインカの人々は、クスコを「ピューマ」とよび、そこの住民たちを「ピューマの体内の構成員」と呼んだ。谷間の地形によって多少歪んでいるものの、都市計画としてクスコはピューマに似たプランで築かれている。

また、イスベルは、ナスカの社会にはワリやクスコのような中央集権的な食料管理制度と食料貯蔵施設がなく、局所的、家族的なレベルで豊作時の食料を保管していたので、豊作時には人口が増え、不作時に死亡者がでやすい状況にあったとしている。

そのため、不作時に死亡者が出ることがないよう、豊作だった場合の個人貯蔵分について、大規模な労働力を投入する必要のある儀式活動に注意を向けさせ、地上絵を「描く」という祭祀「施設」の「建設」活動に従事する労務集団に食糧を供給するため、強制的に取り立てるシステムができていた。

一方で、暦に関する資料については、暦を特に天文学的観測と詳しく照合する必要のあるときに、キープによる方法は非実際的で、記録することは難しいと考えられることから、利用可能で最も永続する素材としても地表が選ばれた、と考えている。

イスベルのこの考え方は、彼がインカや先行するワリの研究から、日本の律令時代の雑徭のような労働力を税として「公共事業」に提供する制度であるミタ制度の先駆と想定していると思われる。

文字を持たない社会がどのように組織を動かすかという重要な情報を貯えようとする試みが地上絵に反映されているとされる。


その他の理由については、ホスエ・ランチョ氏の雨乞い儀式利用説もある。
ナスカの地上絵は一筆書きになっており、それが雨乞いのための楽隊の通り道になったというのである。

ペルーの国宝の壺にもこの楽隊が描かれたものがある。
また、現在も続いている行事であるが、人々は雨乞いのために一列になって同じ道を練り歩く。

この道筋としてナスカの地上絵が作られたのかもしれないとされる。

ペルー人考古学者のジョニー・イスラ氏も雨乞い説をとっている。
地上絵の線の上や周辺から見つかった赤いスポンディラス貝の破片は、隣国エクアドルでしか取れない貴重な貝であり、当時は雨ごいの儀式で使用されたことが他の遺跡研究から分かっているためだ。


今までの地上絵は上の説で、説明が付きそうだが、それだけでは説明がつかない地上絵がある。

これは近年、アメリカの資料探査衛星ランドサットが撮影した画像で、そこには全長50kmにも及ぶ巨大な矢印が描かれているのだ。

矢印は巨大にも関わらず、正確で誤差がない。
矢印の先には、超巨大な滑走路があるといわれているが、発見に至ってはいないのだ。
一体これが何を示しているのか?
何のために造られたのか?
謎は深まるばかりである。

しかし、これがもし宇宙船などの滑走路だとしたら、超古代文明は存在していた事になるのではないだろうか。

posted by オカルト この世の不思議と謎 at 19:39 | ミステリー事件簿