2014年12月12日

イースター島のモアイ像

イースター島は、チリ海岸から3000km西方地点にある太平洋上の火山島である。
1250年ごろからポリネシア人が移住し、石人像、墳墓、儀礼道路、 石造りの神殿、ピラミッド等、考古学上での重要な遺跡が多い島だ。

その中で最も有名なのは、その数1000体もの人面を模した多数の石造彫刻である。
それらはモアイ像と呼ばれ、20世紀最大のミステリーとされていた。

モアイ像は灰色の溶岩を材料として石のみを用いた造った巨大な胸像で、平均、大きさ3.5m、重量20t。
最大のものは20m、重量90tにも達するという。

モアイ像は、東端と西南端の狭い切り立ったがけを除きほぼ島の全周にまんべんなく配置されており、おそらく祭祀目的で立てられたと推測されるのが一般的である。
しかし、実際の祭祀形態については諸説あり、定説はいまだない。

モアイ像が作られた目的が不明である理由としては、次のことが考えられる。
当時島民が奴隷として島外に連行され、さらに解放後も天然痘により島民の大半が死亡し記憶も途絶えてしまった。

それゆえ島固有の文化である文字板コハウロンゴロンゴを読めるものがいなくなってしまい、さらにキリスト教布教の際にそのコハウロンゴロンゴが多数焼かれてしまい、ごく一部しか残されていないということである。

また、モアイ像を巡る謎の一つとして、その運搬方法がある。

モアイ像の材料となっている凝灰石(灰色の溶岩)は海岸周辺には存在せず、島内の山から切り出され運ばれたといわれている。
そのため運搬方法は、木製のソリに横倒しにして乗せて大勢が縄で引っ張り、目的地で“てこの原理”を利用し立たたせていたという方法であるが、確かではないという。

さらに、モアイという言葉にも謎がある。
その語源ならびに意味は諸説があって特定に至っていないため、現在も不明であるという。

しかし、最大の謎はやはり建造目的だろう。
この建造目的に関しては、ようやく答えが見つかりつつある。

近年の調査で、モアイ像の台座から人骨が多数発見されたのである。
このため、「モアイは墓碑であった」という説が有力になりつつあるという。

とはいえ、モアイ像のその独特の形状については、起源が解明されずじまいである。
他の地域の似たような形状の石像から起源が求められているが、いずれの説も特定には至っていない。
中には、日本の猿石に起源を求める説もあるという。

また、南米のティワナク遺跡の石像群との関連も指摘されているが、未だにどちらが先でどちらが後になるかの議論には結論を見出せずにいる。

モアイ像の起源が完全に定説になる段階までに仮説を絞れずにいるその最大の理由は、モアイ像の形状があまりにも独特なため、イースター島以外では似たような形状の石像がほとんど存在せず、関連性を突き止められないためであるという。

モアイ像には、かつてサンゴ質の石灰岩でできた目がはめ込まれていた事が判明しており、復元されたモアイ像には目がはめ込まれた物も存在する。

しかし、イースター島近海にサンゴ礁が無いことから、イースター島原住民の交易ルートがいかなる物であったか、という新たな謎が生み出されてしまった。
他の海域との交易が無ければ、サンゴ質の石灰岩をイースター島にて入手する事ができないからだ。

また、モアイ像の中には赤い帽子をかぶったような形の物も発見されている。
これは当初地位をあらわす帽子か、女性の髪形を復元した物とされていたが、その後は男性の結髪を再現した物である事が判明したという。
これにより、「モアイは男性像である」という説が確立された。

posted by オカルト この世の不思議と謎 at 20:10 | 世界七不思議